五月満月祭(ウエサク祭)から九頭龍神社へ 4
火なので、いい加減には扱えないが、覆いをつけてくださっているので熱くない。でも、風を受ければ火は立つ。が、あまり近くで触ると手が熱くなる。そうやって、火が消えないように自分で調節していると、こうやって自分の心をずっとみていけばいいんだと感じた。私からみて、参集者がご自分の心のともし灯に集中している姿はとても美しく見えた。
自らの言葉をつつしみ、自らの行為をつつしみ、自らの想念をつつしむ
儀式の冒頭あたりで言われた言葉。
言葉は具体的には愚痴や批判、行為は行動、想念はマインド。
私は、それらを「つつしむ」は、ただそれらを控えることだけではないと思う。なぜ、それが口をついて出るのか、なぜそう行動したくなるのか、なぜそう感じるのか、そう捉えるのか、その根っこを見ない限り、それらはずっと在り続ける。自分に集中するとはそういうことだと思う。 でも、自分の心のともし灯に集中しているつもりが、時間が経つと物音や隣が気になったり、どんどん自分の心から離れていく。それがよくわかる時間だった。
うつした灯りを空に掲げ、僧侶が剣で宇宙からの満月のエネルギーをそれぞれの灯りにしっかり足すように何度も上から振り下ろす。灯りが剣の動きに沿うように上下する様は、その場の空気も参集者も一体となったバイブレーションを感じたし、とても美しかった。どこかから「素晴らしい」と感嘆する声が何度も聞こえた。
儀式の後、お堂を参詣し、本堂で満月を映したお水をいただく。
そのお堂に入る頃、満月がとても美しく輝いていた。こんなに明るいんだと思うくらい神々しい光に溢れ、しばらくお堂に入らず満月を眺めた。前回は自宅に帰るために、慌ただしくお堂に入る列に並んだが、今回は今起こる様々を満喫しようと満月を眺めて、30分程度並んでお堂に入った。前回お堂の中をどう感じたのか、全く記憶がない。今回はこんなにたくさんの人と入ると全然感覚が違った。満月のパワーのおかげなのか、お経が聞こえる中、とても明るく満ちた空間だった。
本堂に出て、満月を映した聖水を頂き、本堂から心のともし灯でどんどん作られていく曼荼羅を拝見した。曼荼羅と本堂に並ぶ心のともし灯、満月を見比べて満月の夜を存分に感じた。
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