怒る自分になりたくない2
自分を深く見ていくと、どこかで自分が怒りを持っていたことにぶつかると思うのです。
でも、ここでたとえば自分が怒りを出すことに抵抗があったり、怒りとは相手に思いをぶつけたり、思い通りにさせるものと思い込んでネガティブなものだと捉えていると、出せなくて怒りの下にいけなくなる。怒りを出すのは必要だけれど、そこで全然終わりじゃない。むしろそこから。
ただ言ったら積年の思いであればある程言えた充実感というかスッキリはすると思うけれど、それでめでたしめでたしではない。今まで言えなかったことを言えた、というのは自分を深く見るためのゴールじゃないと思うのです。
また、自分のために自分で怒る、というのは誰かにこれが嫌だから怒ってこうしてくれ、とか誰かがああしてくれなかったから嫌だと伝えるのでもない。どんな事情があっても、自分はこれは嫌だった、腹がたったとかを感じること。それを誰かに伝えて実現してもらおうではなく、ただ嫌だったと感じること。
とっても怖いことだと思う。
ずっと怒りを持っていればいる程これがなくなることなんてないんじゃないかと思えてしまったり、これが私だと思ってしまうこともあるでしょう。でも、感じればそのエネルギーって萎むというか抜ける。
現実の出来事があれば出来事は消えはしないけれど、それに突き動かされていた感じは無くなると思う。
それがもし自分にとってとても大きなものであったとき、目覚めるというか我に帰るというか、今まで自分が何をしていたか気づく。
でもこれで終わりじゃないし、むしろここからだと思う。