「緊張⇔眠る」の行ったり来たり

前回までの身体の緊張について書いた後に、私自身もいつも自分が緊張していることに対して疑問をもっていない頃のことを思い出した。

プラクティショナーコースを最初に受けた際、初めてのエネルギーワークの時間中に眠ってしまい、起きた時はその日のトレーニングが終わっていて画面に誰もいなかった。

起きた時はどのようにトレーニングが終わったのか気になるし、すっきりしていたが肝心な時に寝ちゃうのかとその分罪悪感を感じた。
その日は遅い時間のトレーニングだったし疲れていたんだろうとか気持ち良かったのだろうとか、気にも留めなかった。

今になって思うと、もちろんエネルギワークが心地良かったのもあるけれど、体の緊張が解けて楽になりすぎて眠ってしまったんだろうと思う。その頃、瞑想しようとしてもすぐに眠くなってしまうことが多く、おそらく緊張⇔眠る(ほぼ気絶か弛緩)の間を行き来しているだけで、リラックスや安心して過ごす時間はほとんどなくて感じることがとても苦手だった。(前回までの記事に当てはめると、普段緊張していて(交感神経が優位)疲れ過ぎ、安心するとリラックスを通り越す(眠るOR気絶状態もしくは弛緩で起きていられない)

睡眠もほとんど気絶くらいの感じの毎日を過ごしていた。自分に与える睡眠時間は自分の意識では足りていない(もっと眠れそうに感じる)。ベッドでは熟睡できていないのに、お風呂で寝てしまうくらい疲れていた。また実際に眠っている時間は自分の意識のスイッチを切ることがほとんどなかった。そこから自分の過去を見ていく中で、そもそも眠るのが怖かったり、家でだらだら過ごすことが怖い等いろいろ出てきて、少しづづ変わっていった。

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