感じているのか考えているのかわからない1/3
前回、思考は現実化するのでは?という記事を書きました。あの仕組みは現実に起こり得そうなことのみ書いていて、内観でもない。
あの仕組みをみられたとき、人それぞれ感じるものがあったと思う。例えば、あの仕組みをみて何を感じたか?そうだったのか、嫌な気持ちになる、怒り、じゃあ別の思い込みを作ろう(これは感じてない)、などそれぞれ違うと思う。その感じたところを見ていくことで、自分への問いかけが始まる。
思考が強くなると、構造の理解に終始してしまう方も多いと思う。思考が強いから頭で理解できたらすっきりできるのはすごくわかる。では、理解するだけで今まで持っていたものを別の視点に変えることはできるのか、というと私はその仕組みの中の自分の感情を感じない限り、上っ面のやり方を変えるだけで根本は変わらないと思う。
というのは、人は感じることで動くから。心がないって言葉があるように(この心は思いやりではなくハートという意味で使っています)、人は感じる。ルールや秩序で動いているのではない。人は感じる部分がないと成り立たない。これがマシンとかPCだったら、決められたプログラムの元で動き、そこに感情は生まれない。でも、私達は人。
じゃあ感じよう!としたとき、考えていることが感じていることと捉えていたり、こんなこと感じていてはダメなんじゃないかと恐れがあったり、我慢が多すぎて感じていることが何かわからない、分かりたくない等、そもそも何を感じているんだろう?わからない、じゃあ、感じていないんじゃないか?わからないからと感情を置き去りにして構造を考えてしまうように思う。
普段から思考だけが回りすぎ、感じていてもわからないからそこで完結してしまう。セルフイメージを出してみても、なんだかな?と感じる場合の理由の一つは思考だけで言葉を振り回したから感じられないことがあると思う。
じゃあ、なぜ感じられないのか?(本当は感じられないのではなくて、1、感じているけれど認識できない 2、感じた時の恐怖から無自覚に逃げている だと思う)
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