ハートを開かなきゃ!ではハートは開かない

昔、Momoyoさんに「話を聞こうとすると、けいこさんはマインドが頑張ろうとするんだよね」と言われたことを思い出した。それを聞いて私はよし、ハートで聞こうとすると、Momoyoさんが「そうやってマインドを使っちゃうんだよね、面白いね」と言われた。あ、こっちじゃないのか、と思って、ふと気を緩めると確か、そうそう、と言われた。

その後、話がどう展開したのかは昔のノートを見ても見つからなかったけれど、その時私はなぜハートをうまく開けないのかと、自分を責めて落ち込んだだけだった。ちなみにこれは潜在意識がハートを開くことに抵抗があったから。今だったら、なぜハートを開けないんだろうと自分に矢印を向ける大きいテーマになるけれど、その頃の私は落ち込むその程度の認識だった。

私はハートを開いている状態とは、自分が思っていることや感じていること等を良い悪いを決めずに、そう思っているんだ、そう感じているんだとリラックスして認識できる状態だと思っている。

今の私だと、ハートを開けないのはなぜか?のお題に

1、ハートを開こうとすると、自分はどうなっちゃう気がするんだろう?をテーマにする。と直接的な取り組みではないけれど、2、自分にジャッジがないかを見て、それを徹底的にやめることをする。

ジャッジをやめることはハートを開くと一見関係ないように思えるけれど、私はこれを深く、徹底的にやるといずれ繋がっていくと思っている。私はめちゃめちゃジャッジが多かった。

ジャッジとはなんだろうか?自分の価値観に基づいて、他者、物事、感情などあらゆる物事や事象に良い悪いを勝手に判断し、決めつけること。

例えば、このカバン嫌い。 これは好み。

このカバン、嫌い。これ使ってる人おかしい。はジャッジ。

 

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