本来の目的を見失うくらいの恐怖

現実はただ意見が対立しているだけで、相手そのものを否定したりするわけでもない。でも、私は意見を否定する→相手そのものを否定するぐらいに捉えていた。これが行き過ぎるとみんな仲良くしないといけないとか輪を乱すのは良くないになる。

このときの議論の本来の目的は、意見を戦わせたり、お互いの意見の良い点などを活かしてより良いイベントを作っていくことだ。なのに私は自分が本来の目的とはずれていて怖いことにも気づかず、自分のことしか考えてなかった。

これは学生のときに明らかになっただけで、私は子どもの頃から相手に合わせないといけない、相手と対立するなんてダメだ、ことを荒立てずに場を和ませないと本気で思っていた。それは過去の記憶なのに、過去の恐怖や不安に飲み込まれて、なんとか思考やルール(相手と対立するなんてダメだ等)で抑えて逃げてその怖さを感じようとしていなかった。

この思いが根底にあると、本来の目的なんてわかっていようがいなくても怖くて議論や自分の意見を言うことを避けたくなる。そして、自分の意見を主張することに罪悪感を抱いたり、時には他人の意見に同意できない自分を責めたり、議論している人に対して、あいつは人に逆らって足を引っ張っているとか違う思いが生まれたりする。ちなみにここであなたの意見は?と聞かれるとおそらく、全く意見を考えていずに、あの人と同じだと言ってるのに何で聞く!と怒りが生まれたりする。また、他人と一緒にいると無自覚に合わせてしまって疲れてしまい、私はひとりでいる方が好きなんだと決めつけたりする。

だから、私はこの思い込みがあるときはずっと本当の意味で他人と話し合ってこなかったし、本来の目的について考えたことがなかった。

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