自分が自分を一番認めていなかった
自分はAと思う。それが誰かに認められなくても自分はAだと思うでいいのだ。でも、子どもだと他人に認められないと通らない時がある。
そのわかってもらえなかった思いは今の自分がわかるしかない。そのわかってもらえないことを自分はダメなんだとレッテルを自分で貼って納得しようとした苦しさに気づくしかない。(だからと言って自分を主張するだけで他人からの意見を受け入れなくてもいい訳ではない、これはまたいずれ書きたい)
自分のAを他人が受け入れるかは他人の判断だ。そこをなんとかしたくなるのは自分と他人の境界線がわからないから。子どもの頃から他者に尊重されず、自分の境界線を越えるような接し方をされていたのかもしれない。自分がAと思ったことをあの人はそうは思わない。それだけだ。誰も自分を否定していない。あのひとが認めない自分を自分が否定しているだけだ。
Momoyoさんもおっしゃっていたが、子どもはこう言ったら大人に褒められたり、認められたりすると良く知っている。(お野菜食べられるよ!といえば褒められるとか)それは自然なことで、成長していく中でそれは正しいからではなく、自分が自分のためにすることだと気づく。自分のためにすることに自分自身で決めて、何かを変えたり努力ができるようになることがわかる。
自分はいつごろから他人に自分の思いを素直に伝えられなくなったのか?素直に伝えようとするとどういう気持ちになる?
一番伝えにくいのは誰か?
ずっと同じことを繰り返していないか?
これが正しいから、を外して自分に問い続ける。