正しさの印籠
自分が本当はAと思っていると伝えると、他人に認められないように感じて勝手に考えすぎて、他人に確認もせず(私の場合は他人に聞くだけで怒られるように思っていた)Bを押し通していた。家族にはそれが通じていたが(それもおかしい)、それが通じない他人がくるとどうにか他人に認められるBを作ることばかり考えてぐるぐる悩んだり、自分はどう思うの?と聞かれるとBって言ってるのになんでわかってくれないんだと怒りを覚えたりする。
A=自分はこう思う(→無自覚にAと感じる自分はダメだ等の否定や、Aと言うのは他人のことを考えない自分勝手だという思いがあったりする)
B=みんなのために、誰かのために、効率がいい、世間でこうだ等=印籠
こうやって自分のAを押し殺してBを作ることを考えていると、自分のことなのに無自覚にAに気づかなくなっていたりAを捻じ曲げて結果のためにBを作ったり、Bを認めないあいつは!と怒りが湧いたりする。この根本の理由は、自分に自信がなくて自分が自分の思いや意見を信じられない、自分の思いを否定されたりすることが多かった、あなたのためにとこれが正しいと他人から押し付けられた経験がある→正しければ自分の意見は受け入れられるのではないかと正しさを探す。
のように思う。
どれも正しさにと他者に依存している。それくらい素の自分じゃダメだという否定がある。ちなみにこの正しさも自分が思う正しさだから、正直そんなに正しいものかは疑問だ(私の買い物の件であったように、買ったものを早く詰めれば時間短縮になるだろうが、それは一つの考え方に過ぎない。ゆっくり詰めるのもやり方の一つ。主観でしかない)