我慢をしているはずがない 

自分が何を感じているのかよくわからない、本当は感じているけど自分自身は認識ができない。その原因の一つに自分が我慢をしている意識がない、意識が薄い、認めたくない等があると思う。
もし、あなたが我慢していることがあるとしたら、それをどう思いますか?

我慢が当たり前になっていると、我慢を不快に思っていないこと、それが我慢なのか?くらいに捉えていると思う。思考はその我慢(とさえ捉えていない)このくらい当然と思っている。でも、心や体はそうではない。無理をしていて心や体に歪みができるけれど、思考はそうは思っていないから場合によって体や心が先に悲鳴をあげる。

概念として例えると、激辛料理の味がわからない感じ。
理由があって、自分が辛く感じる激辛料理(我慢)を自分で選んで食べ続けて、その味がよくわからなくなってしまった。
本当は自分にとっては激辛料理。でも味覚がおかしくなって、それがどの程度の辛さなのか客観的に自分ではとらえられない。

激辛で抑え込んだ、芯で感じたことがその人の本当に感じた部分だけれど、そこが激辛に押されて感じられない。
本当は感じているんだけど、実感がない。
だから自分の本当の思いをみても、そうなのかな?と疑ってしまったり、そう思いたくないとか思いの方が先行してしまう。

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