瞑想する前に気になってしまうこと 4

2.家の状態が1であることが自然で、かつ大人の家族もそれが普通だと思っているので、片付いていることは心地がいいとか快適だとか 暮らしやすいなど感じたことががなかったように私は思う。(片づけるのは散らかっていたら人にどう思われるか不安等のルールに縛られていて、自分が心地良く過ごすためとか考えたことがなかった)。
家族の一人は部屋を片付けると何がどこにあるかわからないと怒り出し、自分の好きなように物を自分が見えるように部屋のあちこちに物を置く傾向があった。 今思うと、片付ける=それは何がどこにあるかわからない不安になりたくなくて物を出したままにしていたのだと思う。私はその不安に付き合わされていた。ちなみに私自身もその傾向があった。
私が部屋を片付けて、家族がその片付け方が気に入らなくて家族が怒って部屋を散らかしても、その家族のするままにして誰も何も言わなかった。 そもそも怒られることにとても私は恐怖を持っていて、その恐怖から逃げるには家族を怒らせないようにするしかなかった。
3. 2のような状態だと、家族を怒らせないようにすることにずっと意識を向けていて、自分が心地よい空間を自分のために作るどころではなかった。 他者のことを終わらせないと自分のことができないことが当たり前になっていて、それは関わる人が増えれば増えるだけ(仕事であったり、家族であったり、友人であったり)そこに向けるエネルギーが 外に向けて出ていき、自分のために何かするエネルギーは 残っていなかった。
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