好きになってもらえるならなんでもしたくなる 5~ピンチは自分を変えるチャンス 3~

家族が何かの拍子に怒り出し、その話はいつも最終的に自分はひどい目に合わされた、自分は被害者だ、みんな自分を馬鹿にしている、と自分以外を攻撃する話になる。

その話にもっていかないために、家族を刺激しないために私はいつも家族の話には基本的には乗らず、誰の味方もしなかった。その誰の味方もしないのは私にとっては拒絶だった。(他者から見たらそれはふーん位だと思う)ただ、家族を刺激しないだけのために、「誰の味方もしない」をする中で、ひるがえって自分自身もふーん位の反応を他者からもらうとそれが拒絶のように感じられていて、怖かった。本当は私はそう思わないと言いたかった。

思い出すと、自分の好きに行動しているようで、無自覚に相手の好みそうなものを選んだり相手を刺激しないように行動したり、自分の中で見えないけれど壁があった。また、勧められたことで自分も楽しかったのに、素直に興味を示さずに相手の思惑に乗るまいとしていた。(相手は何も思っていないのに)

そこから抜けると、自分では分かっていなかったけれど、自分で決めた枠の中で窮屈に過ごしていた。その窮屈さは不自由だったんだと気付いた後、誰かと一緒にいても、自分の心のままにしてみようと思った。

大丈夫かなと思う反面、その通りやってみると自分は気楽にいられるし、相手も自分がどうしたいか以前よりこちらに正直に言ってくれている気がした。お互いにお互いを気遣う優しさも大事だけれど、これまでよりお互いを素直に出せて、もっと相手に近づけた気がした。

でも、まだ私はきっと私全開ではないんだと思う。今の私が馴染んでいくと、また新たな気付きがあり、また何かを感じ、また何を思い出し、枠をはずす。その繰り返しだ。少しずつでも、私の純度がより高く、より自然に馴染んでいくことで、より私は楽になり、「私」は在るけれど、私と私以外との境界線は今までと変わっていくのだろうと思っている。

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