死がみせてくれた自己否定 5/5

・これまでは自分が頑張ったり、自分を曲げることで認められたり、受け入れられたり愛されたりしてきた(ように思っていた)
愛とはそういった条件付きのものしかないと思っていた。学業や仕事は頑張ればなんとかなるかもしれないけれど、人の気持ちはそうじゃない。今思うと、その当時の好きな人は単純に私を好みじゃなかったのだと思う。でも、私は相手に合わせられない自分と否定していて、噛み合わなかった。
今回、結果や方向性はどうあれ、当時の私は自分なりに頑張っていたんだと初めて思えた。ずっと否定>頑張り、で認められなかった。その頑張りは振り返ると、他人に合わせて認めてもらう依存に基づいていて、自分はそこにいなかった。だから、自分では限界や指標を決められず、頑張り続けたのだろうと思う。
このブログ冒頭に書いた私の働き方は、自分を無くして、他人が望むであろう(私が勝手にこうだろうと察している)相手に応え続ける働き方だった。無自覚に自分を無くして、他者が望むであろうキャラクターを作り出しそれをを自分に入れてしまっていた。
私の場合、仕事に当てはめると、もともとある自己否定、干渉される不安から自分を守るためだけに、マニュアル通り完璧な会社員になろうとし(だから人を見ないで、マニュアルだけに忠実になる)、自分不在の状態になる。仕事上では忠実な社員に見えるし、他者からは頑張っているように見える。
でも、不安や自己否定から逃げるための防御でしているに過ぎないので、内心はずっと緊張しているし、怖さを感じているうちはそれを簡単に脱げない。私は子どもの頃、自分が怖くて逃げたくても自分を奮い立たせて立ち向かわないといけないと思う場面がよくあり、はたから見ると堂々としているようだったが、本当は不安でそれは虚勢を張っていただけだった。本当に自分が感じている恐怖や不安を隠し、マニュアルや役割(長女はちゃんとしないといけない等)に頼って堂々としているようにみせているだけで、本当は自信なんてなく内面と外側が乖離し続けていた。
そのままの自分でいることがとても難しかった。
先輩が亡くなって20年近く経つ。今回、自己否定の原因に加えて、自己否定が種となって起きた出来事を振り返って、とても長い旅をしたように思えた。時系列を整理し、否定色に染まっていたあの一年をフラットにみて、閉まった冷蔵庫の中にいるように暗くて冷たかったあの一年が違ってみえてきた。出来事は変わらないけれど、いつも虚勢を張っていた自分の苦しみがやっと受け止められるようになった。