死がみせてくれた自己否定 3/5

・年齢的に結婚しなきゃ!(したい、ではない)家族に干渉され続けると気持ちが追い詰められていた。周りにも結婚する人が増えた時期で、またそれができない自分と否定していた。→当時好きだった人にどうしても好きになってもらいたいと、相手に合わせて自分を曲げていた。家族には相手に合わせて自分を曲げることでなんとかなっていたのに、その彼はそうならず(それが自然なのだが)そこで、自分を否定していた→依存
それは彼だけではなくて、周りの人全員に向けられていて、家族や友人が私の感覚で心配に思えると、自分の境界線を越えて心配したり、気持ちを押し付けていた。誰かが心配だから、一緒にいてあげる(上から目線だけど、本当は自分が心配なだけ)、など自分が楽しいから一緒にいる、ではなかった。
また、客観的に見て、プライベートの時間もとても忙しかった。仕事や仕事のための勉強、自分のしたいことの勉強、ヨガ等と時間がほとんど埋まっていて、ゆっくりすることがほとんどなかった。
これまでは自分一人で頑張っていても、自分を責めて頑張らせたり、頑張っているからと認められたりして、なんとかなっていた。初めて頑張ってもなんとかなるわけじゃない状態が続いた。むしろ頑張れば頑張る程、仕事が増え、他者を気遣うことが増え、夜ベットに入っても眠りに落ちるまで何かを考えていた。この頃祖父母が亡くなり、思うことも増えた。そして体の方が先に悲鳴をあげた。
体が回復しても、この先輩の死のことが掛かっていた。この出来事は私が先輩の分まで生きないといけないというメッセージなのかと思っていた。それでプラクティショナートレーニングでテーマにしたことがある。
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