死がみせてくれた自己否定 2/5

その辺りから一か月程度、私はひどく体調が悪くなった。仕事にも行けるし、寝込むわけでもないが、体が冷え切ってよく眠れなかった。かかりつけの鍼の先生にめちゃめちゃ体の調子が悪いと言われて、心の内を話した。
大学の先輩が亡くなった。どうして私は生きてて彼女が亡くなったんだろう。私は生きてていいんだろうか。彼女は結婚間近で幸せだったのに、何もしていない私がなんで生きているんだろう。
先生には確かあんたは優しすぎてそんなこと考えるんやなと言われて、やっと体に温かさが戻ってきた。その後、スーパーで新鮮な野菜を触れて、あ、生きているってこういうことだと感じたことを思い出す。体調はそこで回復したけれど、この自己否定はずっと私のままに刺さったままで、消えなかった。この頃はみんな自己否定しているのが普通なんだろう位に思っていた。
そこから、一年程自分の自己否定が強まるような気がする出来事が続いた。
普通の状態だったら、時間が経てばその出来事に対してのショックが薄まって、自己否定があってもそこまで深刻にならないのだろうが、この時は違った。自分を否定する時間がどんどん増えていった。
・先輩の死から2週間後に仕事で異動の内示が出た(一週間後、隣の部署に異動、会社の都合)
→今の部署で私はいらないと思われているんじゃないか、だから異動するんだろうか。どこかで自分は会社でもいらないんじゃないだろうかと恐怖があった。今思うと異動しても、最初から完璧に仕事ができなくても大丈夫だったのに、とても焦って仕事に馴染もうとしていた。それが自分の思うようにできないと、また私はこの部署でもいらないと思われるんじゃないかといつも怯えて不安を持っていた。
偶然なのだろうが、私は会社員の時二度異動があり、両方とも来週か10日位で異動してくださいというものだった。時間が経ってその頃の私以外の状況を思うと、会社としては確かになという思いはある。(同時期に私だけではなく、他でも急な異動を言われる人はいた)。今思うと、私としてはもちろんショックだったし嫌な思いをしたり、怒りが一時的にはあるだろうが、それを会社に言えないくらい自己否定があった。それがなければもっとすんなり受け止められただろう。ただ、上記は私にしては二度目のイレギュラーな異動だったのでまたかという思いもあったし、手順通り内示をもらっている人もいるのになんでだ!→私が悪いのかという思考になっていた。そういう思いも自己否定に呑まれていた。