死がみせてくれた自己否定

私の過去の思い込み、トラウマが現実の生活に明らかに影響を及ぼすようになったのは20代後半だ。

高校生の頃から、子どものときの自分の過去を自分でいつか癒す必要があるんだろうと思っていたけれど、20代の頃はダメな自分を辞めて、理想の自分になれば何とかなると傲慢に思っていた。

先日、自分の働く姿勢について思いを巡らしていると、入院したり心療内科に通う、以前に私の自己否定が大きく明らかになる出来事があり、それがそれ以降の生活に影を落としたように感じた。でも、私はこれまでその出来事は他人についてのことなので、ただその出来事に共感しすぎただけだと思っていた。

今回その頃の自分を振り返って、その出来事への共感や恐怖より、その出来事がみせたことは、私の内側での自己否定が爆発して隠せなくなったことを私が知るためだった。私はそれにずっと気付いていなかった。

その出来事とは友人の死だ。

20代後半に、私の大学の先輩が突然亡くなった。先輩と言っても同じ年でクラブが一緒だったし、一年の半分くらいは毎日会っていた。友達とは言えないまでも、いろいろ教えてもらったり仲良くさせてもらっていた。

職場の友人とお茶していた時、急にその先輩と共通の友人からメールが来て、お通夜がという内容だった。さっぱり意味がわからなくていぶかしんでいると、その友人から電話で、泣きながらその先輩が亡くなったと告げられた。訳がわからない、混乱で声も出ないというのはああいう状態なんだろう。私の口から出たのはなんで?だった。だって、2~3週間前に会ったのに、元気だったのに。

お通夜に出てから呆然とした日々が続き、それでも私はまだあまり現実味がなく、信じられなかった。

一週間ほどして、別の友人から私に先輩の死を悼むメールをもらい、先輩とあまり面識がない人が知るくらいだから本当なんだとやっと現実だと認めざるを得なくなった。

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