誰かとかかわると

誰かといると、心がざわめくときがある。例えば、相手が自分を褒めてくれたとしても、自分にはそう聞こえなかったり。
逆に褒めてくれてるんだからと嬉しいはずだと思い込もうとしたり。
逆に自分が放った言葉や行動も、優しくしたつもりが、相手にとってはすごく傷つくこともあると思う。私は、最近確か人の言葉ではなかったけれど、ちょっとした自分の動作に“私、かっこいいかも。あ、やばい”って思った時すごく印象的だった。これは今まだ掘り下げ中です。なんだかすごく面白い物が少しずつ見えてきた。
それは、私ひとりでは、絶対起こり得ないことであり、SAの仲間といるときでも起こらない感覚だと思う。人と相対することは、そのひとではなく、自分に気づく機会をもらっていると思う。
気づく機会に本当に目を向けたとき。だれかの言葉や行動へ、本当は怒りが湧いたことや、傷ついた自分を感じることがやっぱり大事な気がする。例えば、山登りにいろんな道があるように 、頂上に向かうとき、どんな道を通ってもいいと思う。その選んだ道のなか、何を感じたか何を見つけたか、それが今の自分を作っている。
プロセスに気づけば、これまで選択した道さえ、これから選ばなくなったり、道さえ消えるかもしれない。もし、結果だけを目指して、そのプロセスに気づかないふりをすると、また選ばなくてもいい道を選んでしまうかもしれない。全部ではなくてもいいからまずひとつ。そのひとつはすべてにつながると思う。