こう感じたら、正解?

ヨガをしているとき、このアーサナだとここの筋肉が感じられたら、効果がある等、だいたいのターゲットがある。

だから、そこに何も感じとれなかったり、ひどく痛みを感じるときは自分にとって効果があるようにアーサナを修正する。

 

でも、ハートが感じることって、身体を感じるときのようにある程度想定できても、こう感じたら正解、はないと思う。

どう感じても誰のせいでもなく、その人らしさ、その人のフィルターがみえる。

 

子どもは、周りの人に質問されたとき、自分の感じたことを正直にいうより、なんとなく、周りが期待している答えがあることに気づいていると思う。どう答えたらほめられるとか、怒られないかという感覚で。

 

その理由は、その周りの人が好きだからであったり、認められたいとか、そう言わないといけない環境があるからかもしれない。

もしくはいつでも正しい答えを求められてきたから。それを続けてきたら、きっと自分の本当の気持ちもわからなくなる。

 

いま、何かを感じるとき、こう感じない自分はおかしい、と思ったりなんでこんなうれしいことが喜べないんだろうと不安になったり、

必ずしも自分が思うように心が動いていないときってあると思う。頭ではなんとなくこう感じるだろうと予想がつくからこそ、自分の感覚に違和感を抱くこともあるだろう。

 

それが正直な感覚だと思う。そのとき、喜ぶべきなのに、と自分を押さえつけずに

何が違うんだろうと自分のハートに聞いてみる。すぐに答えが出るときも出ないときもあると思う。

でも、ただその違和感を感じて、どう自分がどう感じているか、正しくではなく

自分にfitするものを感じられたら、その違和感は消えていくと思う。

どう感じたら正解、はなくて、どう感じているか感じ取る。

丁寧に、じっくりと。

思ってもみなかった自分の感覚に気づくかもしれない。

 

 

 

 

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