「私は責められる」前提の行き着く先
日常の何気ない会話なら良いかもしれない。でも、例えばAがB にアドバイスを求めるような場面があったとしたら、この場合AはBのアドバイスを受け入れられないことが起こりうる。BとしてはAはアドバイス求めて来たはずなのになんで?となる。そしてAは他人のアドバイスや助けも全て自分を責めるように思えて、他人からの助けを受け入れられずに一人で頑張るしか無くなる。(他人はAを責めているわけではなく聞かれたからアドバイスしているだけ)
極端に言うとMomoyoさんに自分の何かを見て欲しくてセミナーやイベントに参加したのに、いざメッセージを伝えられてもそれを自分が責められているように感じて受け入れられないようなことが起こる。悲しいけれど本末転倒。
この現象の起こる原因は、最初に書いた、自分は責められる、怒られると言う揺るがない前提があることが多いと思う。
それはどこからできたのか?
1、子どもの頃から、大人に話を真剣に聞いてもらった経験がなく(何かしながら生返事して聞かれるとか、こっちは悩んでいるのに取り合ってくれず流されたりする等)、大人の望みを押し付けられたり従わないと責められたり、怒られたりした経験が積み重なっていることが多いのではないかと思う。→私の話はどうせ聞いてくれないし、何を言っても聞いてくれない、怒られる、否定される等
2、大人の望みや期待を押し付けられてきたため、自分で大人の言っていることは自分はどう思うのか等考えずに、他人の意見を丸ごと受け入れてきた(〜の言っていることは正しいから従うべきだ等の思い込みがあったりも考えられる)他人の意見に対して、自分はどう思うか考えてきたことがない。