自分の考える正しさに依存する
しばらく自分が感じていることを認識しづらい原因について書いています。
今回は感じにくい原因の一つで、感じる前に他人の正解(らしきもの)を探す、他人に合わせること、効率よくすること、世間で通りそうな正しそうに思える解を考え、それに沿って行動することが自分の意見や感じたことと捉えている。
そして感じる前や自分で考える前、もしくは反射的にその行動をしている。その行動が取れないときはなぜできないのかと自分を責めたり、どうしたらそれができるか悩んだりする。
他人に合わせることは前回までの記事に挙げています。
自分の例で言うと、私ははたまにパートナーとスーパーに買い物に行く。買ったものを袋に詰めるとき、私はパッと手早く済ませたい。
彼はゆっくりしなよと言う。私は早くしたほうが効率が良くて正しいように思って彼にイラッとした。
このイラッとしたところはなんだろうと見ていくと私は効率がいいのが正しいと思っていて、正しいと言えば彼が納得するだろうと思っていたことだった。
私は素早く詰めて早く帰りたいと思う。
彼はゆっくり詰めてゆっくり帰ったらいいと思う。
これは単なる違いでしかない。でも、私は自分が単に早くしたほうがいいと思っていることに正しさを乗せて、相手に自分の言うことを聞かせようとしていた。自分が正しいという前提でいて、彼の言っていることはおかしいと決めつけていた。
振り返ると、私は正しさの印籠を持って他人に自分を認めさせようとすることが多かった。
なので、自分ではAと感じているけれど、他人に認めさせるにはBと言うほうが認められそうだからとAは隠したり、Bが正しそうだからAを捻じ曲げて自分さえごまかして他人にはBだと言って認めさせていた。