目覚めのきっかけ

体の不調や痛み、心の悩みって不思議なことに放っていれば慣れてしまう。感じていることに麻痺するというのが近いと思う。どんな人だっていろんな面を持っている。たとえば、仕事、プライベート、交友関係、学校、習い事など、なかなかずっと同じ面を出している人ってなかなかいないのでは?と思う。たとえば、職場で課長さんでも、プライベートは課長さんではないし、習い事に行けば仕事の役職がどうであれ関係ない。だから、人によっては、課長として仕事上の悩みがあり、プライベートでは体の不調があって、、、と悩みやもやもやは重なっていく。
自分自身を振り返ってみると、聴力がおかしくなったように感じ、入院した時は仕事は人員が足りなくて毎日焦っていて、かつ仕事で疲労困憊、その仕事よりしたいことがあってその勉強で早朝から勉強、家族からの干渉からうまく逃げようと必死、その他諸々で1日の終わりベットで横になってからも一日中ずっと頭が回転した。私はその頃この状況をそのままにしていて、いつか自然に解決していくと思っていた。つらいけど、つらさに麻痺していた。でも、体の限界が先にやってきました。入院した時、やっと休めるとほっと安心したのを今でも思い出す。
今思うと、私はその辛さと向き合っていなかった。仕事上の人員が足りない等はその頃職場に訴えたことはなかったし、体の不調も前年からひどくなっていたのに、職場のみんなも不調があるし、忙しいし自分では仕方ないと思ってなにもしなかった。家族に対しても何か変だと思いながら、家族の前だけなんとかしていればいいとやり過ごしていた。
心のもやもやって自分と向き合うチャンスだと思う。言葉にならなくても、感じている違和感はあるから。麻痺する前ならもっと感じ取れる。そのもやもやが本当はどういう悩みなのか気づいた時、きっと感覚でわかると思う。そう思うともやもやに向き合うって、日常にあふれている目覚めのきっかけだ。