自分を知る鍵はどこにでも落ちている

2019年2月の投稿です


先日、やっとボヘミアンラプソディーを観に行ってきました。

そろそろIMAXは終わりになりそうらしく、

なんとか滑り込みました。

一度も時間を気にすることなく、ライブ部分は映画の中のすべての人がが息づいているのをすごく感じました。 ただ観るより、私も映画のなかの人と一緒に歌いたかった

すごく細かいところまで、愛を感じました。

さで、私が映画のなかですごく気になったことがあって。

確か冒頭部分で、マレーネ=ディートリヒの

映画のポスターが出てきて、なんでだろうと思っていました。

マレーネはドイツ出身の女優です。

私が学生の頃愛読していた作家さんが

エッセイのなかで讃えていたのを記憶していて、映画も確かちゃんと観たことはないけれど、そのころは憧れのような存在でした。

きっと、この映画だけでなく、日常でも周りと同じものを見ていても、

なにか自分だけ感じることがあるはずなんですよね。

私がマレーネが気になったように、この映画のなかで他に気になってしかたがないものが

みた方それぞれあると思うのです。

たとえば、この映画の中の楽曲。

あの曲を聴いたら、こんな感覚を思い出した、過去の記憶が蘇った。

それぞれ何か自分にとってのなにかを思い出すかもしれない。

それは苦しいものだったり、楽しいことを思い出すかもしれない。

でも、それも自分を知るひとつの鍵だと思うのです。

気づいたすべてが、自分にとって大切かはわからないけれど。

気になったものを改めて見つめること。 



それは日々いろんなところに落ちている自分を知る鍵ですね。

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