自分を否定する種

 

最近、いつものように掘り下げをしていると、以前は思わなかったことを思う。

 

あ、これ私だ。

 

特に誰かのとのコミュニケーションであったことだけじゃなくて、

自分で誰かに感じていること。

 

今回、掘り下げの途中で、出た言葉。

掘り下げの対象はそれぞれ違う。

 

基本がわかってない

英語できなくて大丈夫?

 

私が自分に思っていることだ。

 

いままで幾度も振り回されたり、腹立ちを覚えたりして

何度も掘り下げたものもある。

 

それもこれもが私の私だと思っていた、私のかけら。

そのかけらはやっぱり私が観たくない、自分を否定している私、だった。

それに気付いた時、

それらと掘り下げの材料になったすべてが愛しく、花火の一部や宝石の輝きのように感じられた。

キーボードを叩きながら泣きそうになった。

 

 

自分があの人やあの事になにか感じている時、

それはあの人のせいではなく、自分の中の種が反応しているだけ。

 

種は気づかないうちに成長することがある。

私たちに気づいてほしいから。

 

自分だけの種に気づいた時、その種は自分を否定するものではなく

自分を愛するものになりうると思う

 

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