自分にとっての当たり前は、他の人も同じ?
別ブログでの記事をこちらにもアップすることにしました。
ブログのタイトルを変えた理由はまたそのうち湧き上がってくるときに。
先週、高尾美穂先生のツイッターで、身体的な痛みについて、本人がその痛みが
あって当たり前だととらえ、”解決したい悩み”と思わない限り解決できない。
ということが書かれていました。
私はこれを読んで、自分の口癖を思い出しました。
指摘されて気づいたのですが、しょうがないとよく言っていたそうです。
あと、めんどくさい。
いまみるとどちらもなかなか興味ぶかいフレーズですが、
そのときは自分で自分をみてもここで終了していました。
しょうがないは父を思うときよくつかっていたなあ。
食事のときにしゃべれないとか。
だって、うちの家ではそれが当たり前だから、
自分にとっては自然と思っていました。
でも当たり前の先はどう感じていたか。
本当は…
特に家庭環境は自分が思うよりずっと大きな影響を私たちに与えていると感じます。
けれど、自分にとっての当たり前という蓋を取らない限り、本当は自分がどう感じて
いたかは、ひもとけないと思うのです。
むしろそこにこそ本当の自分のかけらが詰まっている。
高尾先生がおっしゃる悩みとは少し異なっているかもしれませんが、
自分の中の当たり前は、本当にそうだろうか?
みんなは寒くないというけれど、私は寒くないのか??
来週には3月。
春は新しく自分の蓋をみる勇気をくれそうですね。