日常=自分と離れる荒療治
週末に友人たちと会ってきました。
一緒に英語を習っていた友人たちで、中には大阪から離れて暮らしていたり、アメリカに住んでいる人もいます。
その時、海外旅行中の携帯の使い方が話題になりました。
友人のひとりは空港に着いたら、自分の携帯の電源を切り、旅行先では全く携帯を使わないそうです。
彼女曰く、携帯を現地で使って、メールやら見て、日常に引き戻されたくない。
だからどこへ行くにも、地図を見て観光案内書に行く。
彼女は英語は苦手です。
私も含めて、その場にいた友人みんなが驚いていました。
たしかに私も昔はそうするしかなかったなあ、、。
私は、大阪にいた頃の彼女が毎日苦しいと言っていたことを少し思い出しました。
これは彼女の強さでありつつ、いまもその日常の苦しみが影響しているようで、痛みも感じました。
さて、現在は世界中、地域によっては、日本よりwifiも繋がりやすく
もしかしたらどこへ行っても日常と繋がるのは簡単かもしれないですね。
自分でもイギリスで自分の携帯を日本語でみていると
なんだかおかしな気分になるときがありました。
日常から離れることで、日常と同化している自分に気づけると思うのです。
例えばいつもと違う時間に起きて、違うものを食べる。
それだけで、いつも当たり前と思っている、自分が我慢していることや
本当は嫌なことから離れて、それらをどう感じているか、
そして、それらと離れて自分がどう感じたか、気づけると思う。
我慢していない自分に気づけるかもしれない。
また、その日常が辛いなら、それをわざわざ持っていかなくてもいい。
もしかしたらその日常が気に入っていたことに気づくかもしれない。
私は、必要な分はwifiなりに頼るのは悪くないと思う。
たとえば、最短で目的地にたどりつくには役立つはず。
でも、せっかく日本と時差も違うような場所に行くならば、
荷物も少なく日常をすべて置いていって、その場の今ここを自分でたのしめればいいですね。
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