思考の運転方法を変える

最近英語をまた習い始めました。
毎回終わった後に、頭、というか脳がすごい疲れて、なんでだろうって思った。おそらく、普段使う感覚と頭、というか脳の使うところが使われていて、感覚が違うからだと思う。すごく集中して他のことを他の何かに惑わされたりしてない時間。過去からのちょっとした疑問達がなるほど!と解消されていく感覚が面白い。
私たちは日常生活の中、脳はもしかしたらほとんど自動運転だと思う。意識しなくてもある程度生活できるし、不便はない。でも、思考が自動運転状態だとしたら、思考に絡まっているときはコントロールができなくて。そんな乗り物は乗っていても、やはり心地よくはない気がする。思考が生き生きしていない、思考≠自分はかならずいる。
日常と違う自分のパターンにふれると、思いどおりにいかなかったり、振り回されているけれど、無心であったり、いつもと違う自分を少しでも感じられると思う。
それは別に学びでなくても、意外に子どもの頃好きだったたものだったり、ずっとやってみたかったことかもしれない。夏休みはないかもしれないけれど、夏の思い出がなにか思い出させてくれるかもしれないですね。