心が揺れたとき
先日、落とし物をしました。まず、ピアスの片方がないことにエレベータで気付き、その後動揺しながら落とし物センターに向かい、その帰りの電車を降りようとしたら次はストールがない。
動揺に動揺が続き、2日ほど落ち込みました。どちらも5年ほど前に購入し、ストールはイギリスで購入したもので、とても愛着もあるものたちです。どうしていいのかわからないくらい茫然自失していました。とりあえず探せるところには問い合わせ、もう一度探しに行き、どこにあるだろうと感じてみたけれど、なんとなくもう戻ってこないような気がしていました。
落とすわけないと思っていた自分を責める気持ちから離れることができた後、この出来事は自分に何を伝えているんだろうと感じてみました。
実は、ピアスもストールも別のものを買おうと思っていたのです。ピアスは今年一年つけるものを新たに買おうかと探していて、ストールはあまり使わなくなったのでもう少し手軽に使用できるものもいいなとぼんやり思っていました。それと、昨年どうしても欲しくなった家具があり、2月中に購入しようと思っていました。
そこで私はなくしてしまったものたちにもうエネルギーを注いでいなかった様に感じました。別のものが必要と思っていたのに使っていたら、エネルギーが合わなくなって離れて行く状況を私が作り出してしまった。
そしてこの後自分のセルフイメージで、理由がないと自分の思い通りにできない自分をみつけました。ピアスを落としたから買うという理由を自分で作り出したのです。
私は子どものころ、家が厳しくほしいものややりたいことが必要な理由をきっちりと述べないと取り合ってくれませんでした。そのために小さい自分の望みは我慢して、大きなものはいつも取引のようにお願いしていました。どうしても実現したいことはずっと必要な理由を頭で考え続け、頭が痛くなるほど。そのくらい考えて完璧なプレゼンをしていました。
ストールは元々父にプレゼントするつもりだったのが、母から父は使わないからあなたが使いなさいと渡されたものでした。そういうエネルギーからも離れたのかもしれません。
ただ、無くしたものに愛着があったことには変わらないので、私なりにちゃんと最後まで使いたかった思いを送ってお別れをして、そして、改めて欲しく思ったピアスと家具を買いました。
ピアスは毎日大切に使っています。新しいものへの感謝と自分の本当の気持ちを誤魔化していないか、お知らせに来てくれたピアスとストール。
落とし物自体は大した出来事ではないかもしれませんが、どんな出来事でも私たちが見る必要があれば何度でも起こります。見ても同じような出来事は起こるけれど、自分の本当の思いに気付けていれば、もう心はひどく揺れないでしょう。出来事に心揺さぶられるなら、心が落ち着いてからでも、何を感じていたか気づくことができればいいと思うのです。
私はこれからしばらく自分のしたいことを理由付けしていないか見張ります。