人と自分を比べていた頃


敬子さんのことではありませんが。


私は子どもの頃から、同じけいこという名前のかたが周りにいることが多くあり、


同じ名前=私と比べられる


という図式が頭のなかにずっとありました。



私には、同い年で同姓同名の同じ性別の

友達がご町内に住んでいました。


田舎に住んでるっていうこともあって、知り合いばかりで他人と比べられることが多かった。


さらに、同姓同名でしかも同い年っていうことで、その彼女がどうとかっていうより私が勝手にすごく意識していました。


特に、私のお母さんは、私を他人と比較することが多く、結果しかみなかった。


私は、

そんなに言うならあの子をお母さんの子どもにすればいいと思うくらい、嫌だった。


結果だけみて、私自身を見てもらえないっていうこと、

私が悪いんだと

文句言われてるような気がずっとしていた。


ほとんど学校の成績のことだったけれど、私の悪いところばっかり見て、いいところはないのかと感じることもありました。


そこから、私は

できないなりに完璧を目指そうとしていました。

文句言われないように、勉強し、文句言われないように、仕事をして文句言われないように結婚しようとしていました。


そこに私のよろこびは全然なかった。


だから、肉体が先に限界が来て、私にはストップがかかりました。


いま、感じるのは、私がお母さんの期待に自分を合わせようとしていたのは、自分のよろこびじゃなかったということ。


お母さんは、私を愛していたからこそ、

大人になって苦労しないように、人と比べて

厳しくしたこと。


でも、小さい私にはそれは分からなかっただけ。


だから、私はセッションが好きなのです。

結果ではなく、その人をまるごとみて、そのひとの素敵な

ところを感じられる時間でもあるから。


人と比べる材料になっていた、自分の名前へに感じ方も変わりました。


私の名前の漢字は、慶子と書きます。


意味は、周りの人が慶んで私が生まれてきたからだそうです。


慶=よろこぶという意味があります。


昔はあまり好きではなかった自分の名前。

今はすごく自分の名前が気に入っています


というのは


慶という文字、それ自体が

よろこびだと気づいたからです。


私自身がよろこぶ。


私がなにかしなくても、もう自分自身がよろこびであるっていうことに気づいた。


私が誰かをよろこばせる必要はなくて、私がよろこぶだけでいいんだ。

私がよろこびなんだなと感じたのです。


本当はなにか特別なことをしなくても、私たちは

よろこびなんですね。


関連記事