アクセサリーをつけない、ただの自分でいる

昔、ヨガのトレーニングで課題で本当の自分とは?

という題で文章を書くことがありました。

私は、最初なにか自分の答えを書いたのだけど、どうやら答えがあるらしいと聞いて、その答えらしいものを書いて提出しました。

私が人に聞いて提出した答え。

私はヨガが好き。

私はケアレスミスが多い。

私はよく眠れない。

たしか50個くらい、私は何々だーという文章を並べました。

そして最後に。

どれも私じゃない。

いま、この意味がよくわかってきた気がします。

私は、本来でしかない。

でも、たとえば私だったら、ヨガを長年続けているとか、旅行のとき荷物が多いとか。

ただの私ではいられなかった。

そして、私にくっつけたものを隠したくなると、別のところからそれをみえなくする、勉強中のとか考え中のとか、見た目綺麗なアクセサリーをつけてみたり。

どんどん本来の自分とかけはなれていく。

そして、本来の自分が感じられなくなり、

アクセサリーもどんどん増えていくかもしれない。

accessory の本来の意味は装身具や、付属物。

自分自身を補ったり、助けたり、自分らしさを輝かせることに使う道具。

嫌いな自分を覆い隠したり、自分の代わりに輝やいてもらうものでもない。

自分を隠すアクセサリーがない自分のまま、人の目を気にせずにいられるだろうか?

でも、それがないのが、本来の自分。

でも、アクセサリーやジュエリーは人の心をウキウキさせるものでもありますね。

理屈もなく、ただただ好き!素敵ってて思えるaccessory jewelry

はきっと私たちをいろんな意味で助けてくれると思います。


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